『みんなの転職「体験談」。』
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「事業を立ち上げたい」資源開発からWebサービスの新規事業に転職して|私の転職体験談

転職前

BEFORE
職業
商社
職種
資源開発
従業員規模
約100,000名
年収
1,000万円

転職後

AFTER
職業
Webサービス
職種
新規事業開発(事業本部長)
従業員規模
1,000人
年収
1,300万円

目次

アールさんの転職ストーリー

1これまでの私

5年前の私は、商社の資源開発担当。原油の権益を求めて飛び回る日々。

イメージ:資源開発担当で、世界を飛び回るビジネスマン

5年前の2012年に、初めての転職をしました。

転職をする前は、大手商社で資源開発を担当していました。

資源開発…というと、あまり馴染みの単語かもしれませんね。

資源開発」は、その名の通り石油を代表とするエネルギー資源などの採掘と収益化を計画、立案、そして運用していく仕事です。

エネルギー資源のメイン・フィールドは海外です。ですので、私は世界を飛び回るように働いていました。

私の担当は、「原油の油田の権益の獲得」です。

油田の権益を獲得して、油田を採掘して、無事に良質な油を生産できるようにする──。
決して楽な仕事ではありませんが、成功すれば莫大な利益がもたらされます。そして、それは会社の利益だけではなく、日本という資源のない国にとっての「国益」にも繋がります。

ですから、やりがいはとてもありました。
自分の仕事は国の未来にも繋がっているのだ」──なんて、たいそうなことも考えたりしていて。…若気の至り、といいましょうか。

家族構成は妻と、小学生の子供が一人でした。

学生時代はラグビーをしていましたので、体力には自信があり、深夜までバリバリ働いていました。

2転職のきっかけ

「自分自身でビジネスを産み出したい」という気持ちが芽生えて。

イメージ:途上国の風景

2012年ごろ、私は「転職したい」と思うようになりました。

理由は、「自分自身で新たなビジネスを立ち上げたい」という気持ちが高まっていったからです。

私の仕事は変わらず資源開発でしたから、出張先といえばアフリカならばチャドとかナイジェリア、南米ならばブラジル、東南アジアならばインドネシアといった必ずしも治安が安定していない国家がほとんどでした。

その国で暮らしている方々は、私の目に「日本にはない、力強いたくましさ」として映りました。
多くの人が、その日その日を精一杯生き、小さな子供たちまでも自分のアイデアで物を仕入れて、それを第三者に販売して利益を得ているのです。

そんな様子を見ていて、私はふと思いました。

(今自分がやっている仕事は、しょせん会社から与えられたものではないか。──私も彼らと同じように、「自分自身でビジネスを産み出して」いきたい。そして、もっと社会に貢献していきたい──)

その想いはずっと静かにくすぶり続け、そして私は、転職への決意を固めたのです。

3転職中

「あなたの気持ちはよくわかった。私も応援する」

イメージ:転職活動中の40代男性

転職活動は、前職に在籍しながら開始しました。

まだ子供が小学生ですから、無職の期間を作るわけにはいきませんでした。

転職をしたいと妻に最初に話したときには、猛反対されました。

商社の給料はかなり高い水準ですから、いったい何が不満なのかと言われたのです。

もちろん、妻から反対されたまま転職活動を続けることは困難です。

そこで私は、自分が仕事を通じて海外で見てきたことや、自分も資源の乏しい日本という国家のなかで新たなビジネスを立ち上げることによって社会に活力を与えたい強い思いを、何度も何度も妻に説明しました。

やがて、妻も納得(もしかしたら「根負け」と言った方が近いかもしれません)してくれて、

「…あなたの気持ちはよくわかった。私も応援する」

と言ってもらえました。

それは本当に嬉しかったですし、そう言ってくれた妻には感謝しています。

それからは海外出張が終わって日本に滞在している間は、頻繁に転職エージェントに出向くようになりました。

そして都度、私が希望する案件がでてきているかを確認して、「これは」と思った案件に対してアクションを取っていきました。

4転職後

新しい職場で、10名の仲間と新規事業立ち上げに携わって。

イメージ:新規事業のプレゼン風景

私が転職先に選んだ会社は、Webサービス事業を手掛けるベンチャー企業でした。
その会社は、近年ソーシャルゲーム開発を手掛け、一気に業績を拡大させていました。

なぜ私がその会社を選んだのかというと、潤沢な資金の一部を、「新規事業の開発に充てたい」という意向を代表の方が持っていたのです。
私は転職エージェントをとおして何度か社長と面談して、新規事業部長というポジションで入社しました。

──まさに、私が取り組みたかったポストです。

新規事業部門のスタッフは10名でした。
ですが、私のように「新規事業を立ち上げるため働いてほしい」と登用された人材は、私を含めて2名しかいませんでした。
他の8名は、他の部門からの人事異動でした。

そのせいか、当初は私がいろいろなビジネスアイデアを会議で打ち出しても、既存のスタッフたちからはネガティブな理由ばかりが出てきました。

たとえば、私がリサーチを重ねてのプランを提案すると、部下からはこんな反応が返ってくるのです。

部下Aさん

「でも、すでに何社か同様のビジネスやってますよね。今から参入して大丈夫なんですか」

部下Bさん

「失敗したとき、どうします?他のビジネスへの転用性が低そうですが」

…そんな感じで、他のスタッフたちは消極的というか、反対の意見が非常に多かったのです。

正直、困り果ててしまいました。

「そんなマイナス面ばかり見ているような生き方をしていては、そもそも人として前進できないぞ」と部下たちを叱咤してしまったこともありました。

ですが、そうは言っても同じ事業部の仲間たちですので、仲たがいは良くありません。

私はふんだんにスタッフとコミュニケーションを取り、雰囲気作りに努めました。業務中の何気ない会話から、飲み会の席のセッティング──。

ようやくスタッフ全員から前向きな意思が感じられるようになったころ、私が事業部長としてアサインしてから6ヶ月もの月日が経っていました。

5その後、どうなったか。

転職を振り返って、そして自分たちで事業を立ち上げて、今思うことは。

イメージ:オフィス街のベンチャー企業のビル

その後、私たちの事業部では新規事業を6本立ち上げました。

そして、そのうちの2本は黒字化し、他の4本は「今後継続しても黒字化の見通しが立たないだろう」ということで失敗しました。

しかしながら、黒字化した2本のうち1本の収益性がかなり高く、トータルでは収益をしっかり創出できました。

おかげで、スタッフみんなと喜びを分かち合えました。

そこで学べたことは、たくさんあります。

まず感じたことは、指揮を取る人間は、組織として気持ちを一つにまとめ上げることがとても大切だということです。

部下やスタッフのものの考え方や目的意識、更にはビジネススキルに関しても、企業によってその状態や質はまったく異なります。
そのような中で、いかに同じ想い、目線、そして目的意識を形成していくかが、ビジネスとして成果をあげていくことに大きく繋がることに気付けました。

◇ ◇ ◇

私は今、「経営者になりたい」という目標を掲げています。

商社では泥臭く世界中を駆け回り、資源の権益獲得のために立ちまわりましたし、転職先の会社では新規事業部長として無の段階からビジネスをいくつか立ち上げる仕事を経験しました。

いわば、会社を創業することの苦しさを経験させてもらえたと思っています。

これを踏まえて、私の今の目標としては、自分の力で会社を創業するのか、あるいはどこかの会社で出世して社長となるのかはわかりませんが、いずれは経営者としてビジネスに携わりたいと思っています。

それが私の夢であり、目標です。
たんにビジネスだけに取り組むのではなく、人材を育てたり、会社を株式上場させるなど、もっと幅広く会社の経営をしていきたいと思っています。

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