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50歳での転職。これまでの人生、私は何をやってきたか。携帯ショップ販売員から飲食店営業へ|私の転職体験談

転職前

BEFORE
職業
販売(携帯電話ショップ)
職種
店長
従業員規模
10人以上
年収
320万円

転職後

AFTER
職業
飲食店
職種
経営
従業員規模
6人
年収
450万円

目次

ながとしさんの転職ストーリー

1これまでの私

携帯電話ショップの新規店舗立ち上げを任されて。

イメージ図:携帯電話ショップの新規店舗立ち上げを任されて。

私が携帯電話ショップのチェーン店を経営している会社の店長に就任したのが49歳の頃、今から約8年前のことです。

私が勤務していた会社はもともと、市町村のお祭りや会社の記念パーティ、結婚披露宴などのイベントを企画、演出する会社でした。2006年頃から業績が低迷。業種転換を考えていた会社が飛びついたのが、携帯電話・PHS販売事業でした。

社会人になって以来、イベント業界一筋。物販などは全く経験がなかったのですが、辞めるか会社についていくかに迫られ、半ば仕方なく会社を続けることにしました。

それから数年後、私は福岡店の支店長として、店を任される立場になっていました。

仕事に一番やりがいを感じていたのは、会社が福岡店を核に各地に支店展開を始めた頃でした。私は福岡店を後輩に任せ、各地に店を新しく開店させる業務を任されました。

多い時期は、九州と山口県に8店舗オープン。具体的には、店舗の物件探しや人の手配、備品の買い付けなどです。

私は結婚はしていましたが、子どもができず、ずっと妻と二人暮らしでした。
妻も専業主婦ったので、忙しくも自由に飛び回っていました。

2転職のきっかけ

本店の社長から、「店を閉めてくれ」と言われて。

イメージ図:本店の社長から、「店を閉めてくれ」と言われて

携帯電話販売はこれという免許がなくてもできる商売です。その上当時はメーカーからの販売手数料が高額だったため、不景気で業績不振にあえぐ異業種が続々と参入してきました。

日増しに激しくなる販売競争。それでも、本店からのノルマを達成するため、毎日残業していました。立場上疲れた顔は見せられませんでしたが、正直ヘトヘトでした。

それから、間もなく各地で携帯電話ショップが飽和状態に陥り、売り上げは横ばいになります。しかも新規獲得で走ってきたNTTやauなどの大手メーカーが、顧客の囲い込みに方向転換し、販売代理店に支払う販売手数料を大幅に削減してきたのです。

こうして販売店の淘汰が始まりました。せっかく作った8店舗も次々に閉店。最後の1店舗も長くないことは解かっていました。だからといって、いまさら本社に私の居場所があるわけでもなく、とりあえず会社には秘密でハローワーク通いを始めました。

ですが、50歳の人間がハローワークから歓迎されるはずもなく。何度通っても、求人情報のパソコンの前で途方に暮れる毎日でした。

本店の社長から「店を閉めてくれ」と電話をもらったのは職安に通い出して1ヶ月くらい後のことでした。

本店に帰ってきても良いというお話も頂きましたが、その時の私は、転職のことしか頭に浮かばず、会社を辞めました。

3転職中

ハローワークに通いながら、知人の経営する工場で毎日荷物運びのアルバイト。

イメージ図:ハローワークに通いながら、知人の経営する工場で毎日荷物運びのアルバイト

会社を辞めた後は、毎日ハローワークに通っていました。

──不安そうな妻の顔を見るのが辛くて1日のほとんどを職安と喫茶店で過ごしていた頃、偶然に再会したのは、かつてのお店の常連さんでした。

かつてのお店
の常連さん

お店閉まってると思ったら、店長さん職安通い?大変だねえ、いい仕事あった?

彼は地元の工場の請負業者として働いていて、職安に自分の会社のアルバイトを探しに来ていたのです。

かつてのお店
の常連さん

行くとこなけりゃ、うちでバイトしない?工場の仕事だけどほとんど手伝いだから素人でも問題ないよ

神の声とはこのことでしょうか、彼が誘ってくれたおかげでそれから数か月間は生活を繋げられたのです。

しかし、工場の仕事はそんなに甘くなかったですね。技術がない代わりに、毎日毎日荷物運び。一生のうちであんなに汗をかいたのは初めてでした。

4転職後

転職ではなく、妻のお母さんが経営していた飲食店を引継ぐことに。

イメージ図:転職ではなく、妻のお母さんが経営していた飲食店を引継ぐことに

工場に通っている間、私と妻は、病気で働けなくなった妻のお母さんのお店を引き継ぐために独立の準備をしました。

お店とは、飲食店でした。看板を準備したり古くなったテーブルやイスをきれいにしたり、お金がなかったのでほとんど手作りです。

食堂を始めたからって、最初から上手くいくもんじゃありません。事実、最初はお客さんの入りは全く芳しくありませんでした。
店作りは散々やって得意だったはずですが、飲食業となるだけでまるで勝手が違う。

「なぜだ?料理もそこそこ美味いと思うし、値段だって近くの店に合わせたのに…」

理解できない現実に苦しみました。

店の立地は大学通り、間口は小さいけど、決して場所は悪くないはずでした。

正解だったのは、とにかく店の前を通り過ぎる学生の流れを止めようと、店頭にベンチを設置したこと。わずかな隙間を利用して、たばこやお菓子、ジュースを置いたことでした。

偶然だったのですが、その学生たちの学校は校舎内が全て禁煙。休憩時間になると、学生がたばこを吸いながらベンチで休憩してくれるようになったのです。

それからは徐々に、お客さんが増えていきました。そして今ではなんと、とても繁盛するようになたのです。

まあ、たばこやお菓子を置いてみようと発案したのは妻。今でも頭が上がりませんね。

5転職を振り返って

引退した後に余生をゆっくり楽しむこと──今は、それが目標です。

イメージ図:引退した後に余生をゆっくり楽しむこと──今は、それが目標です

今になって思うことは、自分の会社の状態を観察しておく必要があるということですね。

私はたまたま上手くいきましたけど、会社の経営状況が悪くなるのを気づかずにいると、後から慌てることになります

それと、今は就職率が少しは良くなったかも知れませんが、ハローワークはそんなに甘いものじゃないということです。特に50過ぎての転職は厳しいと実感しました。もしもの時のために、就職に役立つ資格を一つでも取得しておけばよかったと、今でも後悔しています。

難しいとはいえ、50代はまさに転職のラストチャンス。ですが同時に、これまでに自分がやってきたことを試される大切な機会でもあります。

転職に成功するには、これまで以上の覚悟がいるし、気力も体力も必要です。転職で自分の実力を十分に発揮するにはまず健康であること。転職を決めたら、体の調子を整えておくのも重要なことだと感じました。

50歳を過ぎると、あと何年元気で働けるのかを考えるようになります。15年?20年?問題はその間にできることです。

私が今後取り組もうと思っているのは、2号店、3号店。今の店を軌道に乗せるのに4年掛かっています。ということは、58歳で2号店を開店したとして、運よく軌道に乗るのがその4~5年後、私が63歳の頃…。それから3号店。時間が足りないのが見えてきます。

ですが、今度こそは計画的にじっくり考えて実現したいと思っています。

そして最終的な私の目的は、引退した後に余生をゆっくり楽しむこと。

妻は私の仕事が上手くいかない頃、朝と夜と両方パートに出て家計を支えてくれました。そのせめてもの恩返し、店を任せて妻と2人で旅行でもしてみたい。──それが現在の私の本当の目的なもかも知れません。

参考:40代後半~50代の転職支援に積極的な転職エージェント

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