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転職体験談:「いつまでもバリバリ働けるわけではない」保険営業から、医療機器営業に転職した私。

ワンターン さん(男性 32歳 兵庫県)
まあまあ成功、
ちょっと失敗

転職前

BEFORE
職業
生命保険会社
職種
営業
従業員規模
3,000人
年収
600万円

転職後

AFTER
職業
医療機器メーカー
職種
営業
従業員規模
3,000人
年収
600万円

目次

ワンターンさんの転職ストーリー

1これまでの私

保険営業として、やりがいを感じていた日々。

保険営業として、やりがいを感じていた日々。

当時の年齢は28歳、神戸で一人暮らしの独身でした。

保険の販売員として働いており、業務内容はアポイントを取り訪問から契約、契約後の保守管理もすべて一人で行っていました。

企業には属していたのですが、確定申告も自分でするなど、半分個人事業主みたいな側面もありました。

社内の風潮は基本的に「自分は自分、他人は他人」で和気あいあいとはしていますが仕事を他の部署に回すとかはなく、まさに「自己完結」が求められる文化でした。

外資系の流れを汲んでいて、しっかり売り上げが上がるようならインセンティブをごっそり渡して、売り上げが悪ければ最終的には辞めざるを得なくなる、──そんな会社でした。

当時私が会社に抱いていた印象は、

「やったらやっただけ評価される仕組み、最高!」

という感じでした。

今思い返すと、とても単純ですね笑。

ほぼ1年中スーツを着て、土日でも営業に向かうくらい働き通していました。

そして、やりがいも感じていました。

2転職のきっかけ

「この生活が、今後もずっと続くのか」という不安に駆られて。

「この生活が、今後もずっと続くのか」という不安に駆られて。

仕事自体は順調で、顧客紹介も貰えることも多くなってきたのですが、それに伴って、遠方への出張も多くなっていきました。

そして、その際に発生する移動費や宿泊費、ガソリン代、飲食費用も全て自分持ちでした。

頂いた給料からの差し引きで考えると、土日に仕事もして、早くから遅くまで動いている割には、それほど良い額ではなかったのです。

また、ちょうどそんなときに祖母の緊急手術と自身の2週間の入院が重なって。
そのほとんど働けなかった時期の給与額を見て、愕然としました。

インセンティブ(歩合)が例月より極端に少なくて(まあ、当然なのですが)、あまりにも給与額が少なかったのです。

「休むことは各人の裁量」という会社でしたので、一切文句は言われなかったのですが、その結果は明確に給料に顕れます。

(この生活が、今後もずっと続くのか…)

ふとそんな考えがよぎり、それは以降もたまに考えるようになりました。

思い浮かぶのは、30代、40代になってもこうやって、昼夜休日問わず働き続ける自分の姿です。
そして、その表情には今の活気はなく、ぬぐえぬ疲労の陰がつきまとって…。

(さすがに、このままではビジョンが見えない)と思い、上司に

「転職を考えているんですけど」

と思い切って、そう考えた理由と併せて伝えてみました。

すると上司はしばらく考える素振りを見せた後、

上司

「その考えも良く分かるよ。俺もお前の年齢の頃よくそんなことを考えていた。
俺はここに残る判断をしたけれど、それをお前に押し付けるつもりはない。

出来る限りは協力するから、その代わりしっかり考えて自分で決断しなさい」

と言ってくれたのです。

──そしてそれから、私の転職活動が始まりました。

3転職活動中

転職活動では、dodaのキャリアコンサルタントに助けられ。

転職活動では、dodaのキャリアコンサルタントに助けられ。

始めての転職活動で利用したのは「doda」です。

職場の近くにdodaの事務所があって、訪問もしやすかったからです。

女性の担当さんと相談しながら、辞めようと思った理由とそれが解消できそうな職場を一緒に探していきました。

私は、転職先でも営業職を続けていきたいと考えていました。

担当さんの方でもその想いを汲んで、いくつか候補を出してくれました。
私はその中で、「眼科の手術器具や薬品」を主製品とする医療機器メーカーに目を付けました。

その後も、dodaの担当さんは履歴書から職務経歴書まで目を通していただき、業界の特徴や面接の対策等も丁寧に伝えてくれて。
──非常に助かりましたね。

なんというか、事務的なサポートでなく「本心で応援してくれている」ような感じがあって、非常に温かく感じられました。

4転職後

転職後の新しい職場で、待ち受けていた環境は。

医療機器メーカーの職場

私はその後、無事医療機器メーカーに営業職として転職することが出来ました。

勤務地は九州の支店でした。
引越し費用は、転職先の会社で負担してくれました。

入社一ヶ月間は東京のホテルを借りての研修で、同期も10人くらいいました。
食事や休憩時間のコミュニケーションもあって、すぐに仲良くなれて。ありがたかったですね。

外資系が母体の会社で、いたるところに業務の効率化が見られました。

以前の会社は業務フローは殆ど口頭伝承でしたが、ここでは基本マニュアルがあって。

各人の裁量が強く、やや責任の重さから来るプレッシャーもありつつでしたが、経費は殆ど会社で清算できましたし、土日出勤なども高い手当てが支給されました。

支店は10人くらいの部署で、各営業マンは朝から任されたエリアの眼科を回って製品の補充や、新しい商材を進めていきます。

最初は先輩についていく形で顔合わせを行い、徐々に自分だけで訪問出来る医院を増やしてスライドしていきました。

5その後、どうなったか。

転職を振り返って、今思うこと。そして、これから目指したいこと。

転職を振り返って、今思うこと。そして、これから目指したいこと。

自身の体調不良をきっかけに、「いつまでもバリバリ働けるわけではない」ということに気が付けてよかったと思います。

結局、保険業で圧倒的に稼ぐポジションになるには、並大抵ではない努力とセンスと運が必要だったのです。

私はセンスには自信がありませんでしたが、だからこそ土日までフルで仕事をしていました。
そして、それでどんどん体調が悪化していることにも、仕事の効率が悪くなっていることに気付きませんでした。

なんというか、「仕事に酔っている状態」だったのだと思います。

正常な判断が出来なくなり、先のビジョンなんて考えたこともなく。

あのとき身体を壊してなければ、今も同じように、がむしゃらに休日問わず働いていたかもしれません。

一方で、前職では周囲に「仕事ができる」人たちがたくさんいました。
その人たちは、年収数千万くらい稼いでいて、いつもギラギラしていて。

そんな人たちへのあこがれは強くありましたし、今でもあります。

彼らから、スキルやノウハウをもっともっと吸収しておけば良かった──って。

◇ ◇ ◇

「これから目指したいこと」ですか?

そうですね…、今は、基本的に「ルート営業」で先輩の引継ぎがほとんどなのですが、もっと積極的に新規開拓を行って、製品の導入契約を増やしていきたいです。

将来的にはエリアの医院数や手術件数が、全国上位10%の割合に入れるようにと目指しています。

きっと、私は数値を上げていったり、高い成績を上げていくことが好きなのでしょう。

──もちろん、身体は壊さない程度に、オンとオフのバランスを取りながら、働いていければと思っています。

参考:営業職からのキャリアチェンジ転職におすすめの転職エージェント

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