『みんなの転職「体験談」。』
『みんなの転職「体験談」。』

『みんなの転職「体験談」。』は、20~50代社会人男女の、 「転職したいけれど、迷いや不安で行動を踏み出せない」を 解決し、
より良い将来を目指した一歩を踏み出していける為の、 生々しい体験談情報やナレッジを提供するWebサービスです。

MENU

妻の乳がん告知を受けた私は、「妻との時間を大切にできる働き方」を目指してネットワークエンジニアになった。|転職体験談

転職前

BEFORE
職業
コールセンター
職種
スーパーバイザー
従業員規模
240名
年収
460万円

転職後

AFTER
職業
システムエンジニア
職種
ネットワーク保守管理
従業員規模
190名
年収
420万円

目次

トラムさんの転職ストーリー

1これまでの私

コールセンターSV。「40代半ばにはマネージャーになれれば」という想い。

イメージ図:コールセンターSVとして働く男性

当時、新規立ち上げのコールセンターの責任者(SV)として働いていました。

オペレータースタッフは30名ほど、毎日の入電件数は4,000~5,000件です。
基本的な受け答えならば自動的に対応用トークスクリプトが出るなどの仕組み・ルールはある程度整っていたので、それほど忙しくなく働けていました。

完全シフト制でしたが、妻は専業主婦でしたので「休みが不定期でもまったく構わない」という状態でした。
まとめて休みが取れる時に2人で温泉旅行へ行ったりしていました。

キャリアアップはそれほど真剣には考えていませんでした。

夫婦のプライベート時間を充実させるために、収入が上がれば良いかな」という軽い気持ちはありました。

コールセンターSVの次のキャリアステージといえばマネージャーです。
40代半ばには、そのポジションに就けたらと考えていました。

2転職のきっかけ

妻の精密検査の結果は、「乳がんのステージ2」だった。

イメージ図:医者からの告知を受ける女性

ある年の健康診断で、妻の結果に「再検査」が出ました。

精密検査を行った結果は、乳がんのステージ2。
すぐに入院、手術となりました。

切除手術は必要でしたが、乳房温存術が使用できるということでした。

術後もしばらくは妻の精神的なショックが大きく、しばらくは支えが必要でした。

そこで私は上司に「しばらく休職をさせてくれないか」と交渉しました。
ですが、返答は「NO」でした。

その理由とは、「コールセンターは個人的な理由でシフトに穴を開けることが厳禁とされている。だからこそスーパーバイザーが本人の病気以外で休職することは認められない」。

ここで私は初めて、会社との大きな距離を感じることになります。

ですが、それはこれからのキャリア、そして人生の過ごし方を考えるきっかけにもなりました。

私が辿りついた考えは、「多少収入が下がっても、妻と一緒の時間を長く、生活していきたい」ということでした。

妻ともじっくり話し合って、少なくとも緊急事態には連絡が確実につく職業が望ましいという結論にもなり、私はコールセンターSVのキャリアを手放し、新たな職へと転職活動を始めました。

3転職活動中

レバテックキャリアのエージェントに助けられて。

イメージ図:転職エージェントの面談

新たな転職先として私が考えたのは、「ネットワークエンジニア」──機械相手の仕事です。

コールセンターは「人相手の仕事」で、それ故に勤務時間の調整の取りづらさがありました。
機械相手でしたら、妻に何かあったときも融通を利かせやすいだろうと考えたからです。

加えて、私はかつてヘルプデスクを6年ほど行った経験があり、それが活かせるだろうという狙いもありました。

利用した転職サービスはレバテックキャリアです。
担当エージェントには、ネットワーク保守管理の業務の求人を探してもらうこと、加えて入社日を2ヶ月後としてもらうことをお願いしました。

その2ヶ月間は、ブランクを埋められるための勉強期間に充てる予定でした。

妻の事情を伝えたところ、レバテックキャリアの担当エージェントの方は「夜勤有りでも構わなければ融通が利く職場がある」と紹介してくれました。

その方は以前、「実際にネットワーク保守管理業務を経験していた」ということで、紹介いただいた求人はまさに私が求めていた新たな働き方に合致する職場でした。

運よくその会社で内定を頂き、エージェントの方には夫婦揃って電話口にてお礼を言いました。

4転職後

新しい職場で、待ち受けていた状況は。

イメージ図:ネットワークエンジニアの仕事

転職後の私の新しい仕事は「ネットワーク保守業務」です。

1ヶ月間の研修期間では覚えることが非常に多くて苦労しました。

そして配属された部署は平均年齢が50歳、40歳の私が若手扱いでした。

主に複数システムの混在環境を扱う部署で、それだけ旧世代のシステム・ネットワークへの知識が求められていたのです。

業務は基本的にマニュアル通りで済みましたが、イレギュラーが発生した時の対策はまさに「生き字引」となる方々のノウハウだよりでした。

そして、そのイレギュラーはふんだんに訪れました。

5その後、どうなったか。

転職を振り返って、今思うこと。これから、目指したいこと。

イメージ図:夫婦の仲睦まじい風景

ネットワーク保守管理の仕事をはじめてから「チームで対応することがいかに大切か」を改めて身に染みて感じるようになりました。

全員で知恵を絞って出し合って協力するから、イレギュラーなトラブルも解決方法をいちはやく見つけることが出来るようになり、そしてそこで得た知識・経験はチームで共有できます。

今はまだベテランの先輩社員に頼ることも多いですが、数年後には定年退職を迎える方も少なからずいます。

それまでに、先輩達の技術や知識がいつでも引き出せるように、ノウハウのデータベース化していこうと考えています。

◇ ◇ ◇

今回の転職は、妻の病気がきっかけでした。
これまでは「転職=キャリアップ」のイメージが強かったですが、転職活動をしていく際に、私は自身の目指す働き方はそこにはないことに気付きました。

私が望む働き方は、「自分達夫婦がのんびり暮らしていけるような、ゆとりのある働き方」です。

どんなにキャリアアップできても、身近な家族をないがしろにしてしまうような働き方は、きっと家族と、そして自分自身を不幸にしてしまうでしょう。

そのことにもう少し早く気付けて、そしてもう少し早くそういった職場に転職できていたら、妻の不安をもっと減らせていたかもしれません。

これからは、夫婦の時間をもっと大切にしていきたいと思います。

レビューを書く
1
2
3
4
5
送信
     
キャンセル

レビューを書く

レビューの平均:  
 0 レビュー
目次[ 閉じる ]